俺はソファに座りながら、キッチンカウンター越しにケイロと母さんが並んで料理を作る光景を見つめる。
夢でも見ないような、夢みたいな状況だ。
もしここにアシュナムさんたちが居たら、きっと俺と同じ気持ちになるかも……いや、ケイロに長く振り回されて人となりを熟知しているから、俺以上に驚くような気がする。王子だから自分の国では料理なんてしたことないだろうし、こっちに来た後も未経験だと思う。それでも母さんに質問しながらだけど、野菜を切ったり皮を剥いたりする姿は板についていた。
しばらくして、食卓に夕食が並ぶ。
今日は夏野菜カレーとサラダだ。まだ食べていないのに、カレーの匂いで既に口の中が美味しい。キッチンから戻ってきたケイロと母さんが椅子に座ると――俺の隣にケイロが来たから、体がうっすら疼いて困る――俺たちは手を合わせた。
「じゃあ、いただきます……あ、うま。でもいつもより少し辛味が強いような……?」
カレーを一口食べて、俺は思わず感想を漏らす。
テーブルの向かい側から、母さんがワクワクした目で俺を見てくる。「ちょっと味付け変えてみたのよ。大智はどっちが好きかしら?」
「前のヤツよりこっちのほうが好きかな。辛さで味が引き締まってる気がするし、今日も暑かったから口の中がスカッとして良い感じ」
素直に思ったことを伝えると、なぜか隣からフッとケイロの勝ち誇った笑みが聞こえてきた。
つられたように母さんも嬉しげに笑う。
「良かったわー。実はね、圭次郎くんに味付けを調整してもらったのよ」
「……え?」
「こっちの味付けのほうが大智は好きだって、圭次郎くんが提案してくれたんだけど……まだ引っ越してきて二ヶ月も経ってないのに、大智のことよく分かってるわー。愛だわ、愛」
ごふっ。
母さんの発言に、危うく盛大に口の中のものを吹き出しそうになる。どうにか堪えたけど……愛って
俺たちが話している間に、ソーアさんが庭の中央で手をかざし、精霊たちを集めて光を膨らませていく。今は夏の午前中。空は快晴。すでに眩しい日差しが痛い。そんな中で庭を光らせても目立たないから、周りにこの不審で不思議で非常識な現象はバレないだろうと俺は安堵していた。今までもこんな感じで異世界に戻る準備してたのかな?こっちにまた来る時は、夜じゃなくて昼にしような。この光のせいで、俺、巻き込まれるハメになったんだから。ぼんやりとした半円状の白い光が、俺たち四人が入れる大きさになった時、ソーアさんが俺たちに振り返った。「お待たせしました。いつでも行けます」「よし。行くぞ大智」ケイロは短く頷くと、当たり前のように俺の手を掴み、光の所へ引っ張っていく。「こ、コラ、子供じゃないんだから、言えば俺も移動するって……お前に触られたら、体がヤバくなるんだから――」俺たちの関係を知っているとはいえ、人前でベタベタするのは抵抗がある。しかもケイロに触られると疼く体にさせられたから、恥ずかしさも加わってもう腰の奥が熱い。行く前から羞恥プレイに耐えるハメになっている俺に、ケイロは笑わず、真顔で話を遮った。「しっかり手を繋いでおかないと、転移の際に離れ離れになってしまう。最悪、世界の狭間に落ちて二度と帰れなくなることもある。だから我慢しろ」「マジかよ!? うう……じゃあ、なんとか我慢する」とんでもないガチな事情が判明して、俺の背筋がブルルッと震える。思わず俺からもガッチリ手を握り返すと、戯れにケイロが親指で俺の手を撫でてきた。「責任は着いたらじっくりと取ってやるから安心しろ」「できねぇよ! せっかく異世界旅行できるのに、抱き潰されコースで帰宅なんて絶っっっ対に嫌だからな!」冗談のつもり……じゃないな。ケイロのヤツ、本気だ。全力ツッコミを入れながら、俺は必死に異世界に着いた後、いかにケイロの部屋に連れ込まれないかを頭の中でシミュレー
◇◇◇赤点補習が終わり、夏休みの半ばにしてようやく俺は自由の身になった。せめて二学期は赤点ラッシュで留年するハメにならないよう、宿題は本腰入れてしっかり進めて終わらせた。だって俺はこれから残りの夏休み中、未知の世界へ旅行に行くのだから。 一応夏休みが終わる前にはこっちに帰るとは言ってたけど、予定は未定。どうなるか分からないから、夏休み終わりの駆け込み宿題ラッシュを今の内にやっておいた。ぶっちゃけ疲れた。神経がすり減った。 でも心はいつになく元気いっぱいだった。ケイロたちの里帰りに同行する――という名目の、夢の異世界ツアー。 俺の場合、後でそっちに移住する予定だから、短期お試し旅行ってところだ。「大智、いってらっしゃい! 圭次郎くんと仲良くねー」パンパンに膨らんだ旅行カバンを肩にかけて家を出ようとした俺に、母さんがにこやかに手を振って送り出してくれる。……仲良く……うん、たぶんあっちでも執拗に仲良くされることになるだろうなあ。ケイロが自分の世界に戻ったら、さらに遠慮がなくなって加減しなさそうな気がする。 まさかあっちの観光とか一切できずに、ケイロの部屋から出られない……なんてことにならないだろうな? そんな爛れた夏休み抱き潰されコースなんて絶対嫌だからな?後で念を入れて言っておかないと――と考えながら、俺はお隣さんへと向かう。いつもなら家に入るが、今日はそのまま中庭へと移動する。 すでに準備を終えていたケイロたちが、俺に気づいて各々に振り向いた。「来たか大智……なんだその荷物は?」本来の姿であるプラチナブロンドの髪をなびかせるケイロが、いつになく眩しく見える。だって格好もこっちの服じゃなくて、軍服っぽい王子様らしい衣装だし、目の色も金色。茶髪じゃないってだけでも違和感を覚えてしまうが、全体的に色味が薄くなって、神々しく見えてしまう。中身は万年俺様我が道まっしぐら野郎なのに。 そんでもって、ケイロがどんなヤツかを散々思い知ってきたのに、普段見ないお堅めの凛々しい姿に俺の
◇◇◇夕飯を終えると、ケイロはアシュナムさんたちの分のカレーが入った容器を手にして帰っていった。家族二人になった後の母さんは、それはもうミーハー丸出しに興奮しながら後片付けをしていた。俺にケイロと何があったか教えて欲しいと興味津々で聞いてくるし、別にいいだろって突っぱねてもしつこいし、明日の弁当を作らないって人質ならぬ弁当質を取ってくるしで、俺は観念して差し障りのないことを話した。特に球技大会で優勝したって話が母さん的にはクリティカルだったらしく、「これぞ青春ね!」とはしゃいでいた。……蓋を開けたら青春なんて爽やかさの欠片もない、愛欲まみれの関係なんだけど。心の中で遠い目をしながら、俺は素直に喜ぶ母さんを見つめるばかりだった。母さんの片付けと、根掘り葉掘りの俺とケイロの友情馴れ初め語りに一区切りつけた後、俺は自分の部屋に戻る。ガチャッとドアを開けると、「遅かったな、大智」ここが自分の部屋だと言わんばかりに、ベッドの上で脚を組み、ニヤリと笑うケイロがいた。バタン。 しっかりドアを締めると、自動的に防音魔法が発動して声が部屋から漏れなくなる。どれだけ大声を出しても大丈夫。準備はオッケーだ。 俺は思いっきり息を吸うと、一気にケイロとの距離を縮め、ガシッと両肩を掴む。そして体の力が抜けるのを堪えながら、ケイロの体をガクンガクンと振りまくった。「ケイロ、お前なあ……っ! 心臓に悪いことを勝手にするんじゃねーよぉぉっ! 生きた心地がしなかったんだからな!」「だが問題なかっただろ?」「結果論だし! あんな母さんだったから良かったけど、普通なら怪しまれて反対されるからな!」俺に体を揺さぶられながら、ケイロは平然と言い返してくる。「さすがに俺も人となりを知らずに動く真似はしない。大智が赤点補習とやらをやっている間に母親と接触して、やり取りを重ねてきたんだ。その上で話をしても大丈夫だと判断した」「ちょっとは考えてやったみたいだけど、それでも俺に前もって言えよぉぉ
ケイロの発言に驚きながらも、俺はそれを止めることはできなかった。物は言いよう。異世界に行くってことは言わずに、だけど事実はしっかり伝えている。どこまでも真っ直ぐに伝えるケイロの横顔を、俺は目を見開きながら凝視する。お前なあ……もっと慎重になれよ! ってか、言うなら事前に相談してくれよ! 俺はケイロと違って図太く生きられないんだからな! と恨み節を心の中でぶつける気持ちが一番大きい。だけど――本当に逃げずに、ケイロなりに向き合ってくれてるんだなっていうのが伝わってきて、嬉しい気持ちもあった。ケイロの話を聞いて、母さんが息を呑む。「圭次郎くん……これは冗談じゃなくて、言葉通りに受け止めていいのね?」「ああ。ぜひそうして欲しい」「つまり大智は……」母さんが持っていたスプーンを置き、小さく手を震わせながら口元を覆う。信じられないって表情だ。うん、分かる。いきなり出会って間もない俺たちが、卒業後に遠い地で共に支え合って生きるだなんて晴天のへきれきだと思う。きっと少しずつ理解していく内に、焦りとか、もっと考えなさいっていう怒りが湧いてくる――ん?なぜか母さんの目が輝き始めた。「圭次郎くんが卒業と同時に起業して、右腕として雇ってくれるってことなのね! 一学期の成績がボロボロだったから、進学も就職もどうしようって思ってたのに……イケメン同級生の元に就職内定だなんて、良かったわぁ!」ケイロの話を聞いて、母さんが勝手に脳内変換しちゃった!?まあ、確かにケイロを支えるってことは、右腕の腹心的な存在になるってことでもあるから、あながち間違ってはいないような……? ってか母さん、俺にあれこれ聞かずに「しっかりやりなさいよ」って言ってたけど、実は目が潤むほど心配してたのか。やっぱり親だし心配して当然だよな……でも、なんか一気に浮ついてないか?
俺はソファに座りながら、キッチンカウンター越しにケイロと母さんが並んで料理を作る光景を見つめる。夢でも見ないような、夢みたいな状況だ。もしここにアシュナムさんたちが居たら、きっと俺と同じ気持ちになるかも……いや、ケイロに長く振り回されて人となりを熟知しているから、俺以上に驚くような気がする。王子だから自分の国では料理なんてしたことないだろうし、こっちに来た後も未経験だと思う。それでも母さんに質問しながらだけど、野菜を切ったり皮を剥いたりする姿は板についていた。しばらくして、食卓に夕食が並ぶ。今日は夏野菜カレーとサラダだ。まだ食べていないのに、カレーの匂いで既に口の中が美味しい。キッチンから戻ってきたケイロと母さんが椅子に座ると――俺の隣にケイロが来たから、体がうっすら疼いて困る――俺たちは手を合わせた。「じゃあ、いただきます……あ、うま。でもいつもより少し辛味が強いような……?」カレーを一口食べて、俺は思わず感想を漏らす。テーブルの向かい側から、母さんがワクワクした目で俺を見てくる。「ちょっと味付け変えてみたのよ。大智はどっちが好きかしら?」「前のヤツよりこっちのほうが好きかな。辛さで味が引き締まってる気がするし、今日も暑かったから口の中がスカッとして良い感じ」素直に思ったことを伝えると、なぜか隣からフッとケイロの勝ち誇った笑みが聞こえてきた。つられたように母さんも嬉しげに笑う。「良かったわー。実はね、圭次郎くんに味付けを調整してもらったのよ」「……え?」「こっちの味付けのほうが大智は好きだって、圭次郎くんが提案してくれたんだけど……まだ引っ越してきて二ヶ月も経ってないのに、大智のことよく分かってるわー。愛だわ、愛」ごふっ。母さんの発言に、危うく盛大に口の中のものを吹き出しそうになる。どうにか堪えたけど……愛って
どうやって話を聞き出そうかと考えていると、母さんがニコニコしながら教えてくれた。「夏休み入ってからね、たまたま買い物帰りに圭次郎くんとばったり会ってさ、なんと重そうだからって持ってくれたのよ! イケメンなのに優しいって、サイコーでしょ!」お、おう……いつの間にそんなことが起きてたとは。ケイロも相手によっては猫被れたのかーって驚きよりも、母さんのハイテンションっぷりのほうに圧倒されてしまう。たまたまばったり?ただの親切心でケイロが手伝うなんて考えられない。何か狙いがあるはず――。ケイロの意図を読もうとする俺だったけれど、「しかも仕事お疲れ様って労ってくれるし、夕食の準備も手伝ってくれてさ、もう母さん幸せ過ぎて心の栄養満タンよー! イケメン成分で夏バテ知らずのお肌ピッチピチよー!」ちょっ、落ち着いて母さん! ケイロがイケメンなのは認めるけど、コイツ本当は超俺様天上天下唯我独尊王子だから! 騙されるなよ……っ。母さんがイケメン好きなのは知ってたけど、こんなにテンションがおかしくなるとは思わなかった。あまりのはっちゃけぶりにケイロも呆れ返っているだろうと思ったら、案外と悪い気はしていないようで、なぜか俺に勝ち誇った笑みを浮かべていた。お前……母さんの反応に喜ぶなよ。褒め称えられて嬉しいなんて、まだまだガキだな。大きな溜め息をつきながら、俺は冷蔵庫に近づいた。「はいはい、タダで健康と若返りの術を手に入れて良かったなー」「棒読みはやめてよ。心が籠もってないじゃない」「ごめんな百谷。こんな落ち着きのない大人の面倒見てもらって……」母さんの文句を軽くスルーしつつ肩をすくめる俺に、ケイロはフッと得意げに口端を引き上げた。「気にするな。目上の女性を敬うことは当然だ。それに俺にも利があるからな」「利? 何があるんだよ?」「料理を分けてもらえる……アイツら……いや、兄たちの料理は食べられるだけで、美味しいとは言い難い」ほんの一瞬、ケイロが遠い目をする。なるほどなー。アシュナムさんもソーヤさんも、家事をし慣れていなさそうだもんな。こっちとあっちで調味料も食材も、調理法も違うだろうし。でもそれだけじゃないだろ?俺が目を合わせて視線だけで尋ねると、ケイロは短く頷いた。「それに長期の休みだというのに学校へ行かざるを得ない大智を、労ってやれるからな。